WARAKUSHA

代表

profile

一級建築士・管理建築士

山﨑 正浩(やまざき まさひろ)

1965年浜松生まれ。浜松工業高等学校建築科を卒業後、設計事務所勤務を経て2007年に「和楽舎設計工房」を開設。約35年にわたり、クリニック等医療施設、介護・福祉施設等の設計を手掛ける。京都芸術大学 大学院芸術研究科(通信教育) 芸術環境専攻修士課程 建築デザイン分野 修了。

awards and others
2002年 平成13年度静岡県住まいの文化賞 優秀賞 「光と風でおもてなし」(自邸)
2009年 浜松市エコハウスモデル住宅設計者選定プロポーザル 入賞
2008年~2013年 建築家・吉田桂二氏 選抜門下生「吉田桂二の木造建築学校 匠組」
licenses

一級建築士 大臣登録 第251497号
福祉住環境コーディネーター 二級
静岡県耐震診断補強相談士
住宅性能評価評価員
CASBEE戸建評価員
エコピープル(eco検定合格者)

代表
とにかく
描くのが好き!な
幼少期

父も叔父2人も大工という家庭に生まれ育ち、物心ついた頃には「自分も建築関係の仕事に就く!」と決めていました。何もないところから建物を立ち上げていく彼らの背中に強く憧れた幼少期でした。

ただし自分が好きなのは、机に向かって建物の絵を描いたり模型を組み立てたりして「実際はどんな形かな」などと想像を膨らませること。描いたり作ったりしている時は、1日があっという間に過ぎていったのを覚えています。

「建築士」という職業を知った頃には自然とそれを志し、早く図面が描きたい一心で、地元・浜松工業高校の建築科に進学しました。

病弱な少年時代が
「医院設計者」としての
基盤に

大工を志すことが無かったのには、別の理由もあります。
今となっては幻に感じられるほど健康ですが、子どもの頃は身体のあちこちが病弱だったのです。地元の診療所や病院にはひと通り通い詰め、大きな手術も複数回。とにかくお医者さんにお世話になりっぱなしでした。

そんな少年時代だったからこそできた体験もあります。内科、眼科、耳鼻科、整形外科、歯科…。当時は「痛い」「辛い」などと思いながら母親に連れられて行くだけでしたが、施設内の映像は今も鮮明に脳裏に焼き付いています。科ごとに診察室のつくりが全く異なることも、検査や手術の内容によって案内される部屋の順番が違うことも、心のどこかで気になっていたのです。

子どもですから当時は設計意図を想像するまでに至らなかったものの、後に「医院設計者」として活動する基盤を確実に作ってくれました。

無我夢中で「修行」した
所員時代

高校卒業後は学校の推薦で、御前崎市の設計事務所に就職しました。
所長の自宅の離れに住み込み食事もお世話になりながら、建築三昧の日々。遊びたい盛りの歳に建築の世界にどっぷり入れたことは、生涯の職業を得る上でとても幸運だったと思います。

その後浜松市内へ戻り、住宅から大規模建築まで数多く手掛ける設計事務所へ転職。ほどなくしてチーフを任され、神社や旅館、公共施設など幅広い分野の設計・監理を経験しました。

医療・福祉施設の設計に携わるようになったのもこの頃です。チーフ就任当時はバブル全盛期で新築ラッシュ。昼夜問わず無我夢中で働き「修行」を積ませてもらった環境が、今の自分を育てていると感じます。

尊敬する師との出逢い

独立後、「木造建築の第一人者」と言われる建築家・吉田桂二先生に師事する機会を得ました。2015年にその生涯に幕を閉じられた吉田先生。このときに木造建築設計の指導が直接受けられたことは、何にも代えがたい財産です。

また京都の大学院における建築家・横内敏人先生との出会いは、自分の設計に大きな影響を与えてくれました。日本という地の利を生かした木造設計の美しさは、住宅のみならず医療福祉施設においても設計の原点になっています。

特に医療・福祉施設は木造以外の構造方法で設計することも多々あり、むしろ条件によっては鉄筋コンクリート造や鉄骨造が適した場合もございます。その場合でも日本の景観や環境を知り尽くした木造建築の考え方を発展させることが、結果的に良いデザインになるものと考えています。

創業の想いと
これからの使命

所員として約20年設計事務所に属し、立場も組織も大きくなるにつれ、業務も管理職としての取りまとめが中心に。大好きな設計や作図にこそ自分の真髄があると感じ、「やはり自分で描きたい」との想いから立ち上げたのが「WARAKUSHA」です。

長年の設計事務所勤務を経て、「デザインも機能もどちらも優先させたい」というドクターの先生方の切なる願いに「手しごと」の設計で応えるべく、自宅の一室からスタートしました。

ひとつひとつの建物に手をかけ心を込めて、ドクターであるお施主様の付加価値向上をお手伝いすることが、私の使命であると考えます。

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